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神戸地方裁判所 昭和60年(ワ)759号 判決 1989年5月23日

主文

一  被告芦屋学園、同森脇徹、同佐野雅一、同島中美津子は各自金六〇万円及びこれに対する昭和六〇年六月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員、同伊澤信子は金三〇万円及びこれに対する昭和六〇年六月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員、同川瀬祐子及び同齊藤典子は各金一五万円及びこれに対する昭和六〇年六月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を原告行俊範子、同奥田夕美子それぞれに対し支払え。

二  被告芦屋学園、同佐野雅一、同島中美津子は各自金六〇万円及びこれに対する昭和六〇年六月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員、同伊澤信子は金三〇万円及びこれに対する昭和六〇年六月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員、同川瀬祐子及び齊藤典子は各金一五万円及びこれに対する昭和六〇年六月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を原告岩本一美、同大槻恵子、同垣内祥古それぞれに対し支払え。

三  原告らの被告福山重一に対する請求、原告岩本一美、同大槻恵子、同垣内祥古の被告森脇徹に対する請求、原告らの被告芦屋学園、同佐野雅一、同島中美津子、被告亡伊澤正敏訴訟承継人三名に対するその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、原告らに生じた費用の三分の二と被告福山重一を除く被告らに生じた費用を同被告らの負担とし、原告らに生じたその余の費用と被告福山重一に生じた費用を原告らの負担とする。

五  この判決は第一、二項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告らそれぞれに対し、各自金五五〇万円及びこれに対する昭和六〇年六月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  第1項につき仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(被告ら)

(一)  被告学校法人芦屋学園(以下「芦屋学園」という。)は、昭和二六年三月に設立され、現在、芦屋大学、芦屋女子短期大学、芦屋高等学校(以下「芦女高」という。)、芦屋女子中学校(以下「芦女中」という。)、芦屋大学付属幼稚園の各学校を設置し、経営している。

(二)  被告福山重一は、昭和三四年芦屋学園顧問となり、昭和三五年四月一日芦屋女子短期大学が設置されると同時に同学園理事に就任し、同年末に右短期大学学長に、昭和三九年四月芦屋大学が設置されると同時に同学長に、昭和四二年同学園の専務理事に、それぞれ就任し、現在、芦屋学園理事、同学園総長、芦屋大学長、芦屋女子短期大学長を兼任し、芦屋学園全体を名実ともに統括している者である。

(三)(1) 亡伊澤正敏(以下「伊澤」という。)は、原告らが芦女中在籍当時、芦屋学園の理事、芦女高及び芦女中の校長の職にあった者である。

(2) 伊澤は、昭和六二年四月二一日死亡した。

(3) 被告伊澤信子は伊澤の妻であり、同川瀬祐子、同齊藤典子は伊澤の子である。

(四)  被告森脇徹(以下「森脇」という。)は、現在芦屋学園の理事、芦女高及び芦女中の校長であり、原告らが芦女中第三学年在籍当時、芦女中の指導部長であった者である。

(五)  被告佐野雅一(以下「佐野」という。)は、芦女中の教諭であり、原告らの同中学校第三学年在籍当時の学年主任であった者である。

(六)  被告島中美津子(以下「島中」という。)は、芦女中の教諭であり、原告らの同中学第二学年及び第三学年在籍当時の学級担任であった者である。

2(原告ら)

原告らは、いずれも昭和五六年四月芦女中に入学し、第一から第三学年までともに同じクラス(Aクラス)に在籍した同級生であったが、後記被告らの不法行為により、原告行俊範子(以下「行俊」という。)は昭和五八年一一月五日、同岩本一美(以下「岩本」という。)、同大槻恵子(以下「大槻」という。)及び同垣内祥古(以下「垣内」という。)は同月二二日、芦女中第三学年中途での退学を、同奥田夕美子(以下「奥田」という。)は芦女中から芦女高への当然に進学できる権利を奪われ、他の高校への進学を、それぞれ余儀なくされた者たちである。

3(芦屋学園における一貫教育)

芦屋学園は、前記のとおり、中学校、高等学校、短期大学、大学を設置・経営していることから、中学校から高等学校、短期大学又は大学までの同学園における一貫教育を標榜し、いわゆるエスカレーター式進学により過酷な受験勉強からの生徒の解放を強調して芦女中の生徒募集をし、その上で生徒を同中学へ入学させている。芦屋学園の標榜する一貫教育の中でも、とりわけ芦女中と芦女高の一貫性の程度は顕著であり、両校はほとんど一体となっている。すなわち、芦女中と芦女高の校舎は同一敷地内にあり、両校の校長は同一人が兼務し(原告らの在学当時は伊澤が両校の校長であった。)、両校の生徒会及び生徒心得も共通である。芦女中では、生徒が塾へ通うことを禁じ、勉強よりもむしろクラブ活動を奨励し中学三年の生徒には芦女高のクラブ活動に参加させている。また、芦女中から芦女高への進学希望者に対しては何らの入学・選考試験も実施することなく同校へ進学させている。さらに、芦屋学園では、芦女中から芦女高へ進学する生徒については、同中学入学時に入学金を徴するだけで、同高校進学時にあらためて入学金を徴しておらず、これは、芦女中入学時に徴した入学金の一部が実質的に芦女高の入学金を含んでいるからである。そして、原告らは、当然に芦女高に進学できるものと信じて、芦女中に入学したものである。

4(原告らに対する退校処分)

原告らは、芦女中における成績がいずれも中以上又は上位にあり、生活態度もよく、それぞれに学業及びクラブ活動に励み、楽しくのびやかな学園生活を送っていたもので、学校から素行上の注意を受けるような問題行動を起こしたこともなかったが、昭和五八年九月末ころ、ホームルームの時間に教室で、芦女中の授業料及び諸費納付書(以下「納付書」という。)が配布された際に、原告らを含む一〇数名の生徒が、「施設費って何だろうか。」、「高いなあ。」などと納付書について雑談した事実が被告らの知るところとなって芦女中から退校を迫られ、奥田を除いた原告らは、同年一一月にやむなく他中学に転校を余儀なくされた。右転校に至る事実経過は以下のとおりである。

(一)  前記納付書が配布された際、一〇数名の生徒は、その明細の中に施設費の項目があるのに気付いたが、福山から常々「芦女中、芦女高の校舎は自分が建てた。父兄や生徒には負担させていない。」旨の訓話を聞かされていたため、疑問に思い、何気なしに前記のとおり話題にし、大槻と岩本は、教室にいた島中に右施設費が何であるかを尋ねるべく同被告に話しかけたが、同被告は他の生徒と話し中で取合って貰えなかった。その後、原告らは、右施設費の何たるかにつき気に留めることも、話題にすることもなく、右納付書にて授業料等を納付した。

(二)  しかし、福山及び伊澤は、右施設費を生徒が話題にした事実を知るや、職員会議等の適正な評議を経ることなく、独断にて、原告らを芦女高に進学させず、自主退学を装い芦女中から退校させ、又は他の高校へ進学させることを画策し、森脇、島中及び佐野に右実行を指示した。

(三)  その結果、島中は同年一〇月四日行俊を呼び、納付書を配ったとき「授業料が高いと言ったか。」と詰問し、それに続いて奥田を除いた原告らに対しても次々と右納付書配布時の言動を追及・調査した。更に、同月六日、島中及び佐野は奥田を除いた原告らを呼出し、島中の右調査報告に基づき、佐野において、「授業料が高いというのは、学校に不満を持っているからだ。他の学校にかわるべきだ。」と言って、右原告らの弁明も聞き入れず一方的に同人らを叱責した。

(四)  そして、佐野は、同月七日岩本及び垣内の母親を、同月一一日大槻及び行俊の母親をそれぞれ呼出し、島中が調査した事実を右母親らに告げ、「かような言動は学校への誹謗だ。」と決めつけ、原告らの言動は常々親が家庭において、「授業料が高い。」等の被告への不満を口にしているためであろうと非難し、これに対する原告らの親の見解や被告への不満を否定する弁明には一切耳を貸さず、「授業料が高いと思うならすぐに退校して他に転校するよう。」右母親らに求めた。そしてさらに、同月二二日、奥田を除く原告らの母親が呼出され、伊澤は、芦女中の結論として、「芦女高へ推薦できないから今の内に他の中学へ自主的に転校するように。」と申渡した。

(五)  行俊は、同月二四日、些細なことで登校時の持物検査に引っ掛かり、同日午後、同原告の母親ともども呼出しを受けた。その席には、森脇、佐野及び島中がおり、森脇は行俊の母親に対し、「(行俊は)この学校には合わない子だと思います。学校をかわられてはどうですか。」「遅ければ行く高校もなくなってしまう。そのために誤った人生を送っている子が沢山います。」と芦女中から転校を迫り、その上で「明日から学校へ来なくてよい。」と行俊が登校することを拒絶した。行俊の母は、同月二七日、再度呼出しを受け、森脇から、「すぐに転校していただきたい。退学にはしませんが、今後学校へ来ることは認めません。」と最後通告を受けた。その結果、行俊は、同年一一月五日、不本意ながら退校に追込まれ、他中学へ転校した。

(六)  その後、福山及び伊澤は、岩本、大槻及び垣内に対し、島中及び佐野を介して、「早く転校しろ。」「いつ学校をかわるのか。」等の退校への心理的圧力を加え続けた。このため、右原告らの親達は芦屋学園が同原告らを芦女高へ推薦しないと明言していることから、かような状況下では同原告らをそのまま芦女中において極度に不安な学園生活を送らせるよりも転校させ、一日でも早く受験勉強にかからせるしか途はないとの結論を出し、同年一一月二二日、垣内及び岩本は尼崎市立園田東中学校に、大槻は同市立塚口中学校にやむを得ず転校した。

(七)  奥田は、同年一〇月二四日、伊澤から呼出され、校長室内において「授業料のことを言ったのか。」との事実調査を受けた。しかし、その後は芦屋学園からの働きかけはなく、前記のとおり他の原告らが次々と転校を余儀なくされていく中で、奥田のみが芦女中に残ったため、同原告は同級生から同原告が芦屋学園に前記納付書事件に関して告げ口をしたとの、あらぬ疑いを掛けられ、次第に学級内で仲間はずれにされ、悶々とした学園生活を送らざるを得なかった。

(八)  奥田は、昭和五九年一月二四日、島中に放課後呼付けられ、島中から他の原告同様に芦女中を退学することを求められたが、その場で断わった。しかし、奥田の両親は、同月二六日、島中から呼出しを受け、同被告及び佐野から前記納付書事件を理由に「芦女高へ推薦できないので、よその学校を受験してくれ。」「たとえ他の高校を受験しなくても芦女高へは入学できない。」と申し渡された。その後、右原告の両親は、佐野及び島中に会い、芦屋学園の同原告に対する処分の不当性を訴えたが、両名は「おっしゃるとおりだが、総長先生(福山)が決めたことなのでどうすることもできない。」と右両親の訴えに耳を貸そうとしなかった。以上の経過により、奥田は、芦女高へ進学できる可能性は全くないと判断し、芦女高への進学を断念し、入学願書受付の締切日である二月一〇日、夙川学院に願書を提出し、同月一五日に同学院の入学試験を受け、同原告の必死の努力によりようやくにして同学院に入学した。

5(違法性)

被告らの右一連の行為は、原告らの自主的転校又は自主的な芦女高以外の高校への進学を装った退校処分に外ならず、何ら正当な理由もなく、適正な手続も経ずになされたこのような退校処分は、心身の健全な発育を保障されるべき生徒の人権に対する重大な侵害であり、学校法人及び教育者として許されるべきでない。芦屋学園が受験勉強なしの高校進学を大きな特徴にした教育方針を標榜して生徒を募集しておきながら、施設費や授業料を云々したというだけで右教育方針を自ら放棄し、恣意的に自設高校への進学を拒否して転校又は他の高校への進学を強要したことは、原告らに対する著しい背信行為であるばかりでなく、原告らの言論・表現の自由を抑圧するもので、教育者の教育を受ける者への横暴以外の何者でもなく、被告らの行為の違法性は顕著である。

6(被告らの責任)

(一)  福山は、芦屋学園の理事長であり、同学園における事実上の最高実力者であるところ、その立場を濫用し校長の教育上の権限に不当に介入し、前述のとおり原告らをして自主退学を装い芦女中から退校させ、又は芦女高以外の高校へ進学させることを画策し、島中らに本件不法行為の実行を指示した。

(二)  伊澤は、芦屋学園の理事、芦女中及び芦女高の校長であり、両校における教育の最高責任者であったことから、本来福山の教育者的思慮に欠けた暴挙ともいうべき画策を押止めるべき立場にありながら、福山とともに右画策を行った。

(三)  森脇、佐野及び島中は、いずれも芦女中教諭であり、それぞれ原告らの指導部長、学年主任、学級担任として原告らを直接に教育するとともに、芦女中から原告らに対し不当な処分がなされる事態に直面した場合、第一線の教育者として、原告らの立場に立ち原告らの正当な主張を代弁し原告らの権利を擁護すべき義務を負っていたにもかかわらず、右義務を全く果たさず、却って福山らの意を受け原告らを自主退学等に追込んでいくことに積極的に加担した。

(四)  右被告らの行為は、いずれも故意による不法行為を構成し、右被告らは民法七〇九条、七一九条により原告らに対し共同不法行為責任を負っているところ、福山及び伊澤の両名は、いずれも芦屋学園の理事であり、右不法行為が右両名の職務を行うにつきなされたことは明らかであるから、芦屋学園も民法四四条一項により原告らに対し不法行為責任を負っている。

7(損害)

(一)  精神的損害

原告ら各金五〇〇万円

奥田を除く原告らは、被告らの不法行為により、中学校中途退校という事実を一生背負わねばならず、学歴偏重の社会でこの経歴による不利益は計り知れないものがあり、右原告らの名誉に回復することのできない傷を残した。さらに、右退校は中学校第三学年の第二学期も半ばを過ぎており、全く予期せぬ受験勉強を余儀なくされた右原告らの精神的な不安と混乱は筆舌に尽くしがたい。

右理は、形式上芦女中を退学せずに卒業した奥田についても同様である。すなわち、前記のとおり、芦屋学園が一貫教育を標榜し、芦女中から芦女高へエスカレーター式に進学できることは周知の事実となっているにもかかわらず、奥田は芦女高への進学はできなかったのであり、当然世間では奥田に何らかの非行等の落度があったから右進学ができなかったと受止める者が多く、奥田の名誉も大いに毀損された。また、奥田は、芦女高以外の高校への入学願書の締切間際に芦女高への進学ができない旨を芦屋学園から初めて申し渡されたのであり、受験の準備期間は皆無に近く、高校へ進学できるか否かの精神的不安・苦痛は他の原告らに比しても大きかった。

さらに、原告らは、本来ならば他の学友とともに芦女高へ進学ができたにもかかわらず、それを断念させられた結果、右学友との良好な友人関係を一挙に喪失した。右友人関係の喪失も原告らの人格権の侵害であり、そのための原告らの精神的苦痛は他の何ものによっても償えない。

右原告らの種々の精神的苦痛に対する慰藉料は、少なくとも各原告につき金五〇〇万円を下らない。

(二)  弁護士費用

原告ら各金五〇万円

原告らは、原告ら訴訟代理人七名に本訴提起を委任し、その弁護士費用として本訴提起までに、原告ら各人金五〇万円を支払った。

よって、原告らはそれぞれ被告ら各自に対して、不法行為を理由として、各金五五〇万円及びこれに対する不法行為後である昭和六〇年六月二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2のうち、被告らの不法行為により中途退学、他の高校への進学を余儀なくされたとの点は否認し、その余の事実は認める。

3  同3のうち、芦屋学園がいわゆるエスカレーター式進学制で、芦女中から芦女高への進学希望者に対して何らの入学選考試験も実施せずエスカレーター式に無条件入学させているとの点及び芦女中入学時の入学金が芦女高の入学金を含んでいるとの点は否認し、その余の事実は認める。

芦屋学園の建学の精神は、学業増進、体育伸長は勿論であるが、殊に素行善良なる近代的子女の育成を目的とするもので、中学、高校、短大、大学と進学は予定されているが、芦女中と芦女高は別校であり、制度上も六年制の学校ではなく、芦女中から芦女高へ、芦女高から短大、大学進学について「内部進学者選考委員会」に諮問し、前記建学の精神に照らして選考しているのであって、希望者全員に進学を許可している訳ではない。

4  同4について

(一) 前文及び同(一)のうち、島中が納付書を配布した際に原告らが「施設費って何やろ、高いなあ。」などと話合った事実は認め、その余の事実は否認する。

(二) 同(二)の事実は否認する。

(三) 同(三)のうち、原告ら主張の日に島中及び佐野が原告らを調査したことは認め、その余の事実は否認する。

(四) 同(四)のうち、原告ら主張の日に島中、佐野及び伊澤が原告らの母親と会談したことは認め、その余の事実は否認する。

(五) 同(五)のうち、一〇月二四日行俊が校門での持物検査に引っ掛かったこと、同日母親ともども呼出しを受けたこと、一一月五日行俊が他の中学校に転校したことは認め、その余の事実は否認する。

(六) 同(六)のうち、大槻、垣内及び岩本がそれぞれ他の中学校に転校したことは認め、その余の事実は否認する。

(七) 同(七)のうち、奥田が他の生徒にいじめられていた事実は認め、その余の事実は否認する。

(八) 同(八)のうち、奥田が夙川学院に入学したことは認め、その余の事実は否認する。

5  同5、6、7の事実は否認する。

三  被告の主張

1  行俊について

行俊が転校したのは、施設費発言とは関係がなく、従前から生活指導を要する問題生徒であったところ、特別指導を契機として、伊澤と行俊の父兄とが話合い、合意の上で転校したものであり、転校を強要したのではない。

2  大槻、垣内及び岩本について

大槻、垣内及び岩本並びに右父兄らは、行俊の転校が施設費発言と関係あるものと誤解し、伊澤に対し、芦女高への一〇〇パーセント進学の保証を要求したが、時期的に一〇〇パーセントの進学の保証は不可能であったため、伊澤が保証しなかったことから、伊澤が止めるのを聞かず、自主的に転校したのであり、何ら転校を強要していない。

3  奥田について

請求原因4の(七)記載のいじめがあったため、伊澤が奥田の両親と話合い、その合意のもと、奥田は他の高校に進学したもので、施設費発言とは関係がないし、また、転校を強要したものでもない。

第三  証拠<省略>

理由

一  当事者について

請求原因1(被告ら)の事実及び原告らが昭和五六年四月芦女中に入学し、第一から第三学年まで同じクラス(Aクラス)に在籍していたことは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すれば、芦屋学園においては、中学、高校、大学の一貫教育を標榜して生徒を募集していること、いわゆるしつけが非常に厳しいが、勉強ばかりでなく生徒の個性を尊重する教育方針で、受験勉強から生徒を解放し、クラブ活動に重点が置かれていること、芦女中と芦女高とは同一の敷地に存在し、校長は共通であること、学校要覧、生徒心得も共通であること、毎年ほぼ全員の芦女中卒業生が芦女高に格別の試験を受けずに進学しているが、素行・成績によっては進学できない場合もありうることの事実が認められ(右認定に反する証拠はない。)右によれば、芦屋学園においては、それをエスカレーター式と呼称するかはともかく、芦女中卒業生については、成績・性行の不良等特段の事情ある場合を除いて、芦女高に入学させる制度であると認められる。

なお、<証拠>によれば、原告らは三年A組の仲良しグループで、いずれも成績は中又は上位にあり、とりわけ、岩本、大槻は一年次から三年次まで交互に学級の委員長・副委員長を務めるなど生徒・教師からの信望も厚かったこと、原告らはそれぞれテニス、バレー部等のクラブに所属し、受験勉強から解放されてのびのびと学園生活を送っていたこと、また原告らは毎朝行われる校門チェックで数回注意されたことはあるものの、他に問題はなく、芦女中を卒業後芦女高へ、更に短大若しくは大学に進学するつもりであったことが認められ、右認定に反する証拠はない。

二  <証拠>を総合すれば、以下の事実を認定できる。

1  本件に至る経緯

(一)  昭和五八年九月二九日、納付書が配布された際、大槻、垣内、岩本、奥田ら三年A組の生徒数名が「施設費って何だろう。」と雑談したこと、右の者らがそのような雑談をしたのは芦屋学園の校舎改修につき、福山から日頃、「校舎は自分が建てた。生徒や父兄から寄付は取らない。」との話を聞かされていたのに、納付書に施設費という項目があったので疑問に思ったためであること、そして大槻及び岩本が担任の島中に施設費について質問に行ったが、島中は他の生徒と話をしていて取り合ってくれなかったこと、その後施設費について大槻らはそれ以上話題にすることもなかったこと、

(二)  右施設費についての大槻らの発言は伊澤校長の知るところとなったが、伊澤は右発言は福山や学校当局に対する批判ないし誹謗、中傷であるとして、学年主任の佐野に、佐野は島中に発言者を調査するよう指示した。

そこで同年一〇月四日、島中は行俊を呼出し、「授業料が高いと言っているのはあなたね。」「あなたが言っていないなら、あなたの名前が出るわけがない。」などと前記施設費発言に関して行俊を追及し、行俊は施設費発言に関与したかどうか曖昧であったが、返事をしたかもしれないと認めたこと、そして、行俊から大槻の名が出ると、島中は大槻を呼出し、前記施設費発言について追及したこと、島中は同月五日、垣内についても同様調査したこと、岩本は垣内が呼出された際、自発的に施設費発言に関与したことを申告したこと、島中は調査の結果を簡単なメモ(乙第九号証)にして佐野に報告し、佐野は伊澤に報告したこと、

(三)  同月六日、島中及び佐野が行俊、大槻、垣内及び岩本を呼出し、その際、佐野は、「学校について不満を持っているからそういう発言がでるんだ。施設費につき発言するような者は芦屋学園にいる資格はなく、他の公立学校に転校した方がいい」旨述べたこと、更に佐野はA組の数学の授業中「このクラスに授業料が高いと言っている者があるがこの学校に居る資格はない。学校から出て行け」と発言したこと、

(四)  同月七日、佐野は岩本及び垣内の母親らを呼出し、「そんな発言をするのは生徒も家庭も学校に不満を持っている証拠だ。」「学校に不満があるんだったら、他の安い学校に変わりなさい。」と発言し、母親らの不満がない旨の弁明に対し、この件について校長が結論を示す旨告げたこと、同月一一日、島中、佐野は行俊の母親を呼出し、佐野について「授業料が高いと思うなら、学校をかわったらどうか。総長、校長も大変立腹している。」旨発言したこと、同日、佐野、島中は大槻の母親を呼出し、岩本の母親らに言ったと同様に施設費発言について警告を与えたこと、

(五)  同月二二日、伊澤校長は、行俊、大槻、垣内及び岩本の各母親を呼出し、施設費発言について「学校としての意思をいうことで来てもらった。学費について不満があるなら、たくさん学校があるからそこを選べばいい。大槻らは思想的にもこの学校に合わない。芦女高には推薦できない。」旨各母親に通告したこと(ただし、垣内の母親については佐野が校長の決定を伝えた。)、

2  行俊転校の経緯

(一)  芦女中においては、校則で頭髪・服装について細かく定められ、毎朝校門で、生活指導部の教諭及び風紀委員(生徒)により、登校してくる生徒の服装、持物等の検査(いわゆる校門チェック)がなされていたこと、校門チェックを受けたことはその日の朝生徒指導部及びチェックを受けた生徒から学級担任と学年主任に報告され、担任等から校則を守るよう注意がなされていた(これがいわゆる生活指導である)こと、そして校則等に違反し生徒指導を受けながら、生活態度を改めず、違反を繰り返す生徒について、生活指導部部長による特別指導がなされていたこと、

(二)  行俊もこれまで爪の切りかた、頭髪、スカートの襞、靴の磨き方等で数回校門チェックを受けたことがあったが、その都度改めており、このことで父兄が学校に呼び出されることもなく、特別に問題はなかったこと、

(三)  同月二四日、行俊は頭髪のことで生活指導部の伊藤教諭から校門チェックを受けたが、その際鞄の検査がなされ、数学の教科書が入っていないことが発見されたこと、このことは直ちに生活指導部長の森脇に報告され、森脇は伊澤校長と相談のうえ、行俊に対し特別指導を行うことにしたこと、そして行俊及びその母親は五時間目終了後呼出され、森脇は行俊の母親に対し、「教科書を忘れて学習意欲がない、先日も校長から話があった矢先であるのに、このような子供の態度をどう思うか。」「学校をなめているんだ。」「この学校には合わない子だと思います。学校をかわられてはどうですか。」「明日から学校へ来なくてよい。反省できたら担任に電話しなさい。学校へ来させてあげる。」等述べて、行俊に対し自宅での謹慎を言渡したこと、右の謹慎措置は行俊親子を呼出す以前に、森脇と伊澤の間で既に決定していたこと、か様な謹慎措置は一日で解け、翌日登校を認められる場合が殆んどであったこと、しかしながら同日夜、行俊が島中に反省した旨電話したが、島中は一日で反省できる訳がないとして取りあわなかったこと、また翌日にも行俊は島中に電話したが取りあって貰えず学校が連絡するまで電話してはいけない旨いわれたこと、同月二七日から中間考査が開始するも行俊は登校を認められなかったこと、

(四)  同月二七日、森脇、佐野及び島中は行俊の母親を呼出し、森脇において「もう指導できない。退学にはしないが、転校してほしい。以後学校に来ることは認めない。」旨発言して転校を迫ったこと、その後行俊の父親が学校側と交渉したが、伊澤校長から転校を勧告されたので、結局、行俊は不本意ながら一一月五日、西宮市立鳴尾中学校に転校したこと、

3  大槻、岩本、垣内の転校の経緯

(一)  行俊に対し謹慎措置がとられたことを佐野からホームルームの時間に聞かされた大槻らは、右に施設費発言が絡んでるのではないかと心配になり、大槻が島中に高校に推薦して貰えるかを質問したが、島中は、「推薦できない。同被告が推薦しても学校が認めない。」旨返答したこと、また、島中はその後も折に触れ、垣内、岩本、大槻に「芦女高には行けない。どこの学校に移るのか。」「もう早く出ていきなさい。」「いつ転校するのか。」などと嫌味を言い、さらにはホームルームの時間に「この学校に不満がある人はさっさとやめて貰って結構です。書類の手続はすぐにできます。」などと言っていたので、大槻らは芦女高に進学できるのか非常に不安を抱いていたこと、

(二)  岩本、大槻、垣内の母親も、一〇月二二日に伊澤から学校側の意見として芦女高に推薦できないと通告されて以来、芦女高に進学できるのか不安に思っていたが、一一月一六日の個別懇談会の際に、島中からもう芦女高進学は駄目だから次のことを考えるように言われたので、同原告らを芦女中での不安な生活を送らせるより、転校させて受験勉強にかからせた方がよいとの結論に達し同会の後、伊澤に対し転校を申し入れたところ、伊澤は転校するのは暫く待つよう説得したこと、

(三)  同月一七日、大槻、岩本、垣内の各保護者らが校長と面談した際、伊澤は推薦できない理由は施設費発言にあることを認めるとともに、努力するから転校は暫く待つよう説得したこと、しかしながら、高校進学推薦に際し施設費発言を考慮しないで欲しいとの母親らの要請に対し伊澤は一〇〇パーセント芦女高に推薦できる旨の確約はできない旨述べたこと、また同月一九日ころ伊澤、島中は転校を既に決めた大槻、垣内及び岩本に対し同様の発言をしたこと、

(四)  結局一一月二二日、垣内及び岩本は尼崎市立園田東中学校に、大槻は同市立塚口中学校にそれぞれ転校して行ったこと、

4  奥田転校の経緯

(一)  奥田は、同年一〇月二四日、佐野を介して校長室に呼ばれ、伊澤から施設費発言に関与したか否かの調査を受け、関与した旨回答したが、奥田はその後何らの呼出しを受けることもなく、その間、前記のとおり、行俊らは転校していったこと、しかるに、同級生の間で、行俊らはやめたのに奥田がやめないのはおかしい、奥田が告げ口したからだとの噂が流れ、同級生から奥田はいじめられるようになったこと、

(二)  芦女中においては、芦女高に推薦できるかどうかは学年会で原案が作成され、中学校学内進学推薦選考委員会(以下「選考委員会」という)で決定されるが、成績や素行面で芦女高に推薦できない生徒については一一月に行われる個別懇談会で予め説明がなされたが、奥田は成績、素行面とも問題でなく、推薦者名簿の中に登載されていたこと、しかしながら昭和五九年一月二三日の選考委員会の際、当時教頭であった森脇から奥田も施設費発言に関与したことが問題とされたこと、同月二四日、島中は奥田を呼出し、「やめないと、またいじめられる。大槻らと平等にしないと。」と述べ、奥田がやめませんと答えると、島中は「高校には推薦できない」と言ったこと、

(三)  同月二六日、奥田の両親は、学校からの呼出しに基づき、佐野及び島中と話合ったところ、佐野は「施設費発言の件で高校には推薦できない。先にやめた人と調整がとれない。やめて貰う。県立高校へ入学する準備をしておくように。」と申し渡したこと、同夜、奥田の両親が伊澤校長に会い善処方を申し入れたが、伊澤は同月二七日学校に推薦する可能性はなくなったとして転校を勧めたこと、そこで奥田は芦女高進学を断念して急遽、夙川学院を受験し、同年三月一六日芦女中を卒業して、同年四月夙川学院高校に入学したこと、

5  その後の原告らの状況

その後、行俊は園田学園高校から園田学園女子大に、大槻は兵庫県立稲園高校から甲南女子大に、垣内は園田学園高校から園田学園女子短大に、岩本は尼崎市立尼崎東高校から甲南女子短大に、奥田は夙川学院高校から梅花女子大にそれぞれ進学していること、

以上の事実が認められ、右認定に反する<証拠>は措信せず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  行俊に対する不法行為について

1  行俊転校の理由

被告らは、行俊転校の理由は、行俊が生活指導を要する問題児で、特別指導を契機に伊澤と行俊の父兄が話合い合意のうえ転校した旨主張するので検討するに、前記認定事実によれば、行俊の成績は普通であり、他の生徒と比して行状に問題はなく、数回校門チェックを受けたが、その都度改めており、格別の問題児とは認めがたいこと、行俊に対する特別指導は、教科書一冊を忘れたことを契機としてなされたもので、反省のための自宅謹慎措置とはいうものの、右謹慎措置がなされても殆んどの場合翌日には登校を認められているにも拘らず、行俊に対しては中間考査の受験も登校も認められなかったこと、従って行俊になされた特別指導は実質上無期限の出席停止と等しいものといえ、教科書を僅かに一冊忘れたことに対する対応としては全く均衡を失するものであることが認められ、これに前記認定に係る転校の経緯(とりわけ、伊澤が転校を勧告した時点では、行俊は既に登校を許されず、これ以上の放置はできない状態にあったこと)を併せ考えると行俊の転校が特別指導を契機とした行俊の親権者の自主的な意思によるとは到底認められない。

2  伊澤、佐野、島中、森脇の責任

以上判示した事実を総合すれば、伊澤、佐野らはささいな生徒間の雑談である施設費発言を福山や学校当局に対する批判ないし誹謗・中傷であると把握し、右発言に不快感を抱き、佐野、島中において施設費発言をしたか曖昧であった行俊を右に関与したとして芦女中から転校するよう執拗に繰返し求め、校長である伊澤が学校側の最終的意見として転校を通告し、遂には森脇において、教科書を忘れたことに藉口して特別指導の名の下に無期限の出席停止として転校を迫り、行俊を芦女中から転校させたものであり、右一連の行為は受験勉強なしの高校進学という教育方針の下に、芦女高に進学するつもりで学園生活を送っていた行俊に対し、成績や性行の不良等の正当な理由がないのに拘らず、他校への転校を強要した違法な行為というべきであるから、伊澤、森脇、佐野及び島中の民法七一九条一項、七〇九条に基づく不法行為責任は明らかである。

四  大槻、垣内及び岩本に対する不法行為

1  自主的転校との主張について

被告らは、大槻らの父兄が誤解して、伊澤が引き止めるのも聞かず自主的に転校した旨主張するので検討するに、なるほど、伊澤は一一月一六日ころ以降は、転校を暫く待つように指示していたと認められること前判示のとおりであるが、しかしながら、大槻らの転校の経緯は前判示のとおり、島中や佐野から転校を求められた後、伊澤校長から芦女高に推薦できない旨通告され、その直後に行俊の転校があり、その後の個別懇談会において担任からも転校を求められたというのであり、転校の要求は極めて執拗になされていたことからすると、突然それまでとは全く逆のことを伊澤校長が述べたとしても、既に学校不信にある大槻らを信用させることはできなかったと推認できるのみならず、伊澤の発言は芦女高進学を確実に認めるという内容ではなく、暫く様子を見てはどうかという程度のものであり、転校の意思を形成しつつあった大槻らを翻意させる言葉としては不十分なものであり、さらに、一一月後半という高校受験をするのに切迫した時期であることも併せ考えると、大槻らの転校は自主的なものではなく、伊澤、佐野、島中の転校を迫り、芦女高に推薦できないとの一連の行為によって心理的圧迫を加えられたことにより転校を決意したものであるというべきである。

2  伊澤、佐野、島中、森脇の責任

前判示のとおり、大槻らの施設費発言を契機として伊澤、佐野及び島中は共同して、何ら正当の理由がないのに拘らず、大槻らに芦女中からの転校を強要したものというべきであり、右被告らの不法行為責任は否定できない。尤も伊澤において、一一月一六日以降大槻らの転校を暫く待つよう発言したことが認められるが、前記認定の右発言の時期、大槻ら転校の経緯等の事実に徴すると、伊澤の右発言をもって転校を強要した責任を消滅させるには足りないというべきである。(なお、伊澤の発言をとらえて伊澤が当初から転校させる意思を有していなかったとすることは、前記一連の経過から判断すると、合理的とはいえない。)

しかしながら、大槻らの転校について森脇の関与を認めるに足りる証拠はないから、森脇に対する請求は失当である。

五  奥田に対する不法行為について

1  自主的転校との主張について

奥田に対して、芦女高に推薦できないとした経緯は前判示のとおりであり、施設費発言に関与した他の原告らが転校せざるをえなかった事実は伊澤校長らも奥田も重々承知していたこと、奥田が芦女高に推薦できないといわれたのは他の私立高校の受験願書の受付日が目前に迫った一月末という時期的状況であったこと等を考え併せるとき、その心理的強制の程度は強度であったと認めざるをえず、奥田が任意に他の高校を受験・入学したものとは認められない。また、被告らは奥田に対するいじめがあったから、伊澤と奥田の父兄とで交渉して決定したもので、施設費発言とは関係がないと主張するが、なるほど、奥田に対するいじめがあったことは当事者間に争いがないが、選考委員会で、奥田が施設費発言に関与したことが問題となり、これが原因で他の高校を受験するに至ったこと、一月二六日、佐野が奥田に他の高校に行って貰う理由は施設費発言の件であると述べていることは前判示のとおりであり、これに前記認定の一連の経緯を併せ考えると、奥田の転校が施設費発言にあることは明らかであり、被告らの主張は理由がない。

2  伊澤、佐野、島中、森脇の責任

前記判示した事実を総合すれば、伊澤、佐野、島中はすでに奥田を除く原告らを強要して転校させたが、森脇から選考委員会で奥田が施設費発言に関与したことを問題とされるや、施設費発言に関与した他の原告らとの調整が採れないとの理由だけで「高校に推薦できない」等述べて奥田をして芦女高への進学を断念させ、他の高校に進学させたこと、森脇は生活指導部長として行俊の転校に関係したこと、選考委員会開催当時教頭で校長を補佐する立場にあり、奥田の転校につき伊澤と相談した節が見られること、奥田の転校は森脇の問題提起が契機となっていること等の事実が認められ、かかる事実を併せ考えると、森脇も、伊澤、佐野及び島中と共同して何ら正当の理由なく、芦女高への推薦がほぼ決っていた奥田を、施設費発言に関与したという理由のみで芦女高への進学を断念させ、他高校への進学を余儀なくさせたものというべきであり、右被告らの共同不法行為責任は明らかである。

六  福山の責任について

1  原告らは、福山がその立場を濫用し、伊澤らを指示して原告らに対し転校や他の高校への進学を強要した旨主張するので、これにつき判断する。

(一)  なる程<証拠>を総合すれば、同月二五日、島中は、垣内、岩本及び大槻の各母親に対して、「本件納付書の一件は総長から降りてきた話である。」旨述べていること、同月二六日、島中は芦屋駅で偶然会った行俊の母親に対し、「総長自ら学校を批判するような者は皆名前を挙げてやめさせろといっている」旨の説明をしていること、一一月一七日、島中は前記三名の母親に対し、「転校の問題は総長が自慢していた校舎の建築を批判されたことを怒って生じた問題である。島中が福山に電話したところ、生徒を許す気持はないと言っていた。」旨述べたことが認められ(右事実は一一月一七日における島中と大槻らの会話を録音したテープの内容を文章化したものと原告らが主張し、被告らが違法収集証拠であると争う甲第一四号証によっても認められる。)、また島中の本人尋問の結果中にも本件に福山が関与したことを認める趣旨の供述が存する。

しかしながら、右甲第一四号証の証拠能力が認められるとしても、島中の大槻らの母親に対する前記発言はいずれも行俊が転校した直後あるいは個別懇談会(この席で島中は大槻、岩本、垣内の母親に大槻らは芦女高進学は駄目だと告げた)の翌日であったこと、島中はそれまで行俊や大槻らに対し転校するよう執拗に求めていたことが前記認定の事実から認められるのであり、これに島中は大槻らの担任であった事実を併せ考えると、大槻らの母親に対する島中の前記発言及び本人尋問の結果は多分に自己の責任逃れの面があるというべく、右発言の真実性は疑わしいものというべきである。

(二)また<証拠>によれば、昭和五九年一一月二六日伊澤は同人を訪ねた奥田の両親に対し、転校の話は総長から出た話なので総長に頼んでみる旨述べたことが認められるが、前判示のとおり、伊澤は芦女中の校長としてそれまで奥田を除く原告ら四名を転校させたのであり、芦女中の教育全般の責任者である校長という伊澤の立場に鑑みると、伊澤の前記発言の真実性もこれまた疑わしいのみならず、右供述だけでは福山が伊澤らを指示して、原告らに転校、他の高校への進学を強要した証拠となしえないのはいうまでもない。

2  その他、福山が伊澤らを指示して、原告らに対し転校あるいは他の高校への進学を強要したことを認めるに足りる証拠はない。

尤も原告らは、福山が本人尋問の呼び出しに応じなかったことから、同人との関係で民事訴訟法三三八条を適用し、原告らの主張をすべて事実と認めるべきだと主張するが、同条を適用して反対当事者の主張を真実と認めるか否かは裁判所の裁量に委ねられているところ、福山及び死亡した伊澤を除く関係者の尋問を了した本件につき、当裁判所は同条の適用をしないのが相当であると考える。

よって、原告らの福山に対する請求は失当というべきである。

七  芦屋学園に対する責任

伊澤が芦屋学園の理事であったことは前記のとおり当事者間に争いがないが、伊澤は芦屋学園が設置した芦女中の最高責任者である校長として、原告らに対し転校あるいは他の高校への進学を強要したものであること前判示のとおりであるから、芦屋学園は伊澤理事の属する法人として、私立学校法二九条、民法四四条に基づく損害賠償責任を負うというべきである。

八  損害について

(一)  慰藉料

本件不法行為により原告らは、ささいな生徒間の雑談である施設費発言に関与したとの理由だけで、中学校中途退校又はエスカレーター式学校における高校進学不能という不名誉を被ったのみならず、教育方針に従って受験勉強から解放されクラブ活動に励んでいたのに、中学校第三学年の第二学期又は第三学期から急遽高校受験勉強を開始せざるをえなくなったことによる精神的不安・混乱は厳しいものであったと認められるが、他方、原告らはその努力によるにしろ、過酷な現実に押し潰されることなく、健全に成長し、現在では大学生又は短期大学生として幸福な生活を送っていること等をも考え併せると、原告らを慰藉するには各自金五〇万円をもって相当と解する。

(二)  弁護士費用

原告らが原告ら訴訟代理人七名に本件訴訟を委任したことは当裁判所で明らかであるところ、本件事案の難易、審理経過、本訴認容額等を考慮して、被告らが賠償すべき弁護士費用の額は原告各自につき金一〇万円とするを相当と認める。

九  結論

以上の次第であるから、原告らの本訴請求のうち、行俊及び奥田の請求については福山を除くその余の被告らに対して各金六〇万円を求める限度で(ただし、亡伊澤の相続人に対してはその相続分に応じた部分に限る。以下同じ。)、岩本、大槻、垣内の請求については森脇、福山を除くその余の被告に対して各金六〇万円を求める限度で、それぞれ理由があるから、右限度で認容し、原告らの福山に対する請求、大槻、岩本、垣内の森脇に対する請求、原告らの福山、森脇を除く被告らに対するその余の請求は失当であるのでいずれもこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 將積良子 裁判官 増山 宏 裁判官 山本和人は、転補のため署名捺印できない。裁判長裁判官 將積良子)

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